軽井沢建築文化の父ヴォーリズ。近江八幡のヴォーリズ記念館、洋館群など視察に行ってまいりました。
戦前の時点ですでに設計作品が1600件を超えたとのことです。それほどの仕事をこなす原動力はなんだったのか、どのようにしてなし得たかなど、今後の自身の建築家としての立場を、あらためて見直すことにもなる、有意義な旅となりました。
戦前の日本の田舎に、宣教師として一人近江に来て、多くの偏見もあるなか、キリスト教布教、社会貢献の一手段として、設計技術を振ったのでした。これが原動力でしょう。近江八幡市の名誉市民第一番目は、ヴォーリズです。
人類はみな兄弟という精神で、近江兄弟社を発足し、様々な教育事業や販売事業を発展させました。ここに多くの賛同者が存在します。建築作品の多産は時代が求めるままに、進めることができたのでしょう。
ただ、ここには当時欧米で興っていた、新しい建築思潮モダニズムとの関連性や、ジャポニスム(日本建築文化)との意図的、意識的なデザインチャレンジは観て取れません。極めて禁欲的です。キリスト教教理に照らして、必要最小限を追及していたのかもしれません。それが結果的に装飾を排除した、「さりげなさ」という表現を生んだのでしょう。
芦屋出張にかこつけて甲子園ホテルにも行ってまいりました。
甲子園ホテルはFLライトの愛弟子、遠藤新が30歳代前半の若さで、林愛作プロデュースにより設計監理した、85年前の建築です。東の帝国ホテル、西の甲子園ホテルと言われました。
帝国ホテルはライトが腕を振いすぎました。工期、コスト度外視でとうとう完成を待たずアメリカにお引き取り願った、というのが真相のようです。かたやこの甲子園ホテルでは、弟子の遠藤新はさすが日本人。きちんと工期、コストをコントロールしたようです。建築表現はライト直伝です。
率直な私のこの建築の感想を言わせていただきます。
表現としてはライトのミッドウエイガーデンに通じるマヤやアンコールワット遺跡からヒントを得た、いわゆるプリミティヴ主義です。ですが、左右対称に厳格にこだわり、
軍艦を思わせる重い表現は、とても保守的で堅い印象を与えます。ライトがするような軽やかでしなやかな表現には至っていないと思います。また、この環境でなければ存在し得ないという、計画の土着性に欠けると思います。
決められた工期、コストを忠実に守ったと言われていますので、遠藤新としては真に自由にやりたいことができたというわけではなかったでしょう。
あまり生意気なことをこれ以上申すのはやめます。
特注の装飾タイルをたったの一枚の切物なく納まっているのは驚異的です。よほど優秀な工事管理者が徹底してタイル割、逆算した躯体の施工図をおこしたのでしょう。日本人の仕事の細かさ、誠実さは今も昔も世界一です。ライトの建築にはない緻密さがこの建築にはあります。
それはどちらかというと細かなことを気にしない、アメリカ人のライトと、日本人遠藤新の国民性の違いなのかもしれません。
それにしてもこれほど見事な建築が、国の重要文化財に指定されていないということがどうしても理解できません。