2012.10.29

浅草仁丹塔

できごと

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1890年、帝都一の繁華街浅草に凌雲閣、浅草12階はあった。高層建築のさきがけとして雇われ外国人建築家、ウイリアム・K・バートンが設計した。
  
1914年経営難から設計者の制止を無視し、エレベーターを設置してしまった。これには構造的に無理があった。
  
そのせいか、1923年の大正の関東大震災で崩落した。
  
その後、森下仁丹が少し場所を移して再現した看板塔が仁丹塔だ。オリジナルの凌雲閣には76もの窓があったが、再現された塔にある窓はすべてフェイクだ。とてもキッチュな趣のある、いかにも野暮ったい下町のランドマークとして、私にとってふるさとのシンボルだった。
  
その仁丹塔も15年程前には撤去され、いまはコンビニになっている。
  
めまぐるしく遷移する文明。たった100年前のことが遠い過去に感じる。変わらずに建ちつづける建築。建築家の夢だ。

2012.10.24

軽井沢ワークスMAP

できごと

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軽井沢での仕事はさかのぼること20年!それも北軽井沢でした。小規模なホテル「みやこわすれ」です。
  
一体どれくらいの実作があるだろう?一つ一つ記憶をたどりながら、MAPにポイントを落としていきました。全て鮮明に覚えています。楽しかったプロセス、苦労した工事監理・・・・。
  
全部で23棟ありました。こうしてみると中軽井沢に仕事が多いですね。

2012.10.22

八ヶ岳おろし

できごと

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ヘムロックヒルは八ヶ岳南麓のなかでも大泉にある。世に言う「八ヶ岳おろし」がさぞやビュービューと吹くと思われがちだ。ところがそれは全然違う。森林が多く残っているせいもあるだろうが、吹きさらしの畑の筋を別にすれば、ほとんどの冬風は取るに足らないものだ。
  
ところが双葉から先、甲府盆地には「八ヶ岳おろし」が存在する。大概の甲州人はこれを嫌う。ブロックも飛んでしまうといわれるこの風、双葉の航空学園のある辺りが一番すごい。グライダーの滑空に適するわけだ。
  
実はこの風、諏訪口と呼ばれる岡谷の方から小淵沢を経て吹いてくる北風と、軽井沢の方から佐久、野辺山を経て吹いてくる北風が、合流したものだ。八ヶ岳を中心にしてそれに迫る南アルプス、秩父山系のせいで、風に加速度がつき八ヶ岳の両脇を吹きぬける。ちょうど合流点が双葉の辺りだ。だから強力なのだ。

2012.10.17

A.C.ショーハウス

できごと

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カナダ人宣教師A.C.ショーが軽井沢を訪れ、「ふるさとの情景と似ている!」ということで別荘を建てたのが1888年。それが軽井沢リゾートの発祥です。
  
当時の宣教師といえばかなりのセレブ。今見ると質素に見えますが、豪華な調度品に囲まれていたのではないでしょうか。
  
八ヶ岳に暮らす私のふるさとは東京の浅草。第二のふるさとは、そう軽井沢です。なのになぜかショーハウスを訪れるのは初めてなのです。日本人なのに富士山に登っていないのと似ていますね。
  
Iさんご案内ありがとうございました!

2012.10.16

ヘムロックヒル

できごと

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ヘムロックヒル・・・栂の丘、そう名づけた家が出来たのは、今からもう20年も前のことだ。都会をはなれ大好きな八ヶ岳の自然の中で暮らしたかった。
  
設計図は当時事務所を開いていた東京で描いた。毎週の様に山歩きで八ヶ岳に通っているというのに、いざ住まいを設計しようとしたとき、風土についてほとんど知識がないことに気づいた。
  
冬の風、夏の風はどちらから吹く?
日照時間は?
どんな植生?
土の成分は?
地下水の流れはどこからどこへ?
・・・・形を出してしまう前に多くの勉強をした。
  
こう見えても東京時代の私は、ビルや狭小住宅の設計に明け暮れた。そんな中、自邸の設計は自分を取り戻すためになくてはならない時間だったのだ。

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