1890年、帝都一の繁華街浅草に凌雲閣、浅草12階はあった。高層建築のさきがけとして雇われ外国人建築家、ウイリアム・K・バートンが設計した。
1914年経営難から設計者の制止を無視し、エレベーターを設置してしまった。これには構造的に無理があった。
そのせいか、1923年の大正の関東大震災で崩落した。
その後、森下仁丹が少し場所を移して再現した看板塔が仁丹塔だ。オリジナルの凌雲閣には76もの窓があったが、再現された塔にある窓はすべてフェイクだ。とてもキッチュな趣のある、いかにも野暮ったい下町のランドマークとして、私にとってふるさとのシンボルだった。
その仁丹塔も15年程前には撤去され、いまはコンビニになっている。
めまぐるしく遷移する文明。たった100年前のことが遠い過去に感じる。変わらずに建ちつづける建築。建築家の夢だ。
軽井沢での仕事はさかのぼること20年!それも北軽井沢でした。小規模なホテル「みやこわすれ」です。
一体どれくらいの実作があるだろう?一つ一つ記憶をたどりながら、MAPにポイントを落としていきました。全て鮮明に覚えています。楽しかったプロセス、苦労した工事監理・・・・。
全部で23棟ありました。こうしてみると中軽井沢に仕事が多いですね。
ヘムロックヒルは八ヶ岳南麓のなかでも大泉にある。世に言う「八ヶ岳おろし」がさぞやビュービューと吹くと思われがちだ。ところがそれは全然違う。森林が多く残っているせいもあるだろうが、吹きさらしの畑の筋を別にすれば、ほとんどの冬風は取るに足らないものだ。
ところが双葉から先、甲府盆地には「八ヶ岳おろし」が存在する。大概の甲州人はこれを嫌う。ブロックも飛んでしまうといわれるこの風、双葉の航空学園のある辺りが一番すごい。グライダーの滑空に適するわけだ。
実はこの風、諏訪口と呼ばれる岡谷の方から小淵沢を経て吹いてくる北風と、軽井沢の方から佐久、野辺山を経て吹いてくる北風が、合流したものだ。八ヶ岳を中心にしてそれに迫る南アルプス、秩父山系のせいで、風に加速度がつき八ヶ岳の両脇を吹きぬける。ちょうど合流点が双葉の辺りだ。だから強力なのだ。
カナダ人宣教師A.C.ショーが軽井沢を訪れ、「ふるさとの情景と似ている!」ということで別荘を建てたのが1888年。それが軽井沢リゾートの発祥です。
当時の宣教師といえばかなりのセレブ。今見ると質素に見えますが、豪華な調度品に囲まれていたのではないでしょうか。
八ヶ岳に暮らす私のふるさとは東京の浅草。第二のふるさとは、そう軽井沢です。なのになぜかショーハウスを訪れるのは初めてなのです。日本人なのに富士山に登っていないのと似ていますね。
Iさんご案内ありがとうございました!