私のふるさとは浅草です。18歳までここで生まれ育ちました。その後転々とし八ヶ岳に住んで20年経ちました。そんなふるさとに25年振りに帰りました。
25歳の私は建築家としては早熟でした。RC造4階建ての先輩の工場併用住宅を設計監理しています。同じ軽音楽部出身の先輩です。そこで昼は工場を夜はライブハウス、ということを始めてもう10年くらいがたちます。
「今度行きます!」といってから10年もたってしまいました。
先日ふるさとへ、25歳の私に会いに行ってきました。当時「ポストモダン」などと言って、自由な建築表現がはやっていました。
今、この建築を前にして思うことは、「随分熱の入った造りだな。なかなかいいじゃないか。」客観的に見ることが出来ます。しっかりと、立派に建っていました。
新しいPDOの軽井沢のスタジオは、古い旅籠の一室を借り受けることになりました。誰もがイメージするカルイザワとは違い、静かな追分宿のちょうど真ん中くらいにあります。ですから和風です。
私にはかって建築家として悩みがありました。「中村さんの建築は和風だね。」和風なんて意識したことがないのにこんな風に評されると、とても戸惑います。「そんな風にみえているんだな・・・」とても悩んだものです。
ですからこの強い和風感を発する旅籠「油や」に拠点を設けることについては少々工夫が必要だな、と思いました。わたしたちデザイナーは常に多角的に物事を観る訓練をしています。当たり前の存在をちょっと視点を変えてみると、新しさが出る。「異化」というデザインの技です。たてのものをよこにしてみるということです。
まずは手始めに、間仕切りに使われていた障子を天井に水平に吊りました。光天井です。
これから徐々に「異化」に取り組んでいきます。
しばらく春の嵐が吹き荒れていました。ようやく南麓にも春が来ましたね。甲府の現場ではもう汗ばむほどです。大泉に帰ってまいりますと!いつもと様子が違っています。道をふさぐようにして太い赤松が倒れています。これには驚きました。その後クレーンが南麓中から集められたのでしょう。7台も参集して力をあわせて撤去しています。それにしても電線の張力はたいしたものなんですね。
赤松は森林破壊の象徴です。広葉樹の森を伐り開いておくと、土壌の養分も流れてしまいます。それでも日当たりだけはよいですから、もやしの様に赤松が生えてきて、急成長します。そんなわけでとても弱いのです。
赤松を伐って広葉樹を植えましょう!