オープンした「ギャラリーオスティア」では、「アンティーク」な工芸品や興味深い現代の工芸品を展示しています。値札の付いたものもありますから、美術館ではなくギャラリーということになります。
「アンティーク」という言葉の解釈は、一般には古い雑貨、骨董品とされている場合が多いようです。製作から100年以上経ている工芸品をアンティーク、そこまで古くはないにしても、古く価値のあるものをヴィンテージと言います。
19世紀末芸術ともよばれる、フランスのアールヌーボーや、オランダのデ・スティル、オーストリアのユーゲントシュテイル、などヨーロッパで同時多発的におこった、芸術運動はみな「新芸術」と訳すことができます。そして1920年様式ともよばれる、アールデコに引き継がれます。
アンティークとはそんな年代に創作された、ジュエリーやガラス工芸品、家具などを言うのでしょう。
オーナーが長い年月をかけてコレクションした「美しいものたち」を展示しています。胸がすぅーとした感じになります。ぜひ訪れてみてください。
陽だき型の家の2階でオーナーと談笑しておりましたら、「あれは何?」と騒ぎになりました。夢中になって地面の何かを食んでいます。良く見るとそっくりな個体がすぐ近くで同じようなことをしています。思わず私は「うり坊だっ!」と叫んでいました。・・・とそうは言ったもののなんだかわかりません。
まず、体はずんぐりしています。顔の回りは毛におおわれています。また、頭から背にかけて金色と言いますか、モスグリーンといいますか、たてがみがあるんです。体には毛が生えていない、まるでヘアレスドッグのようです。尻尾は長い。2個体いましたがどちらも同じようです。
これなあに?
少なくともうり坊ではありません。狐の子供でしょうか?いえいえ動きが緩慢でずんぐりしている狐なんかいません。アライグマにしては大きい。残るは・・・、狸でしょうか。もこもこの冬毛がこの暖かさで一気に夏毛に生え変わるところなのかもしれません。
どなたか知っていたら教えてください。(ちなみに犬でもありません。)
芦屋出張にかこつけて甲子園ホテルにも行ってまいりました。
甲子園ホテルはFLライトの愛弟子、遠藤新が30歳代前半の若さで、林愛作プロデュースにより設計監理した、85年前の建築です。東の帝国ホテル、西の甲子園ホテルと言われました。
帝国ホテルはライトが腕を振いすぎました。工期、コスト度外視でとうとう完成を待たずアメリカにお引き取り願った、というのが真相のようです。かたやこの甲子園ホテルでは、弟子の遠藤新はさすが日本人。きちんと工期、コストをコントロールしたようです。建築表現はライト直伝です。
率直な私のこの建築の感想を言わせていただきます。
表現としてはライトのミッドウエイガーデンに通じるマヤやアンコールワット遺跡からヒントを得た、いわゆるプリミティヴ主義です。ですが、左右対称に厳格にこだわり、
軍艦を思わせる重い表現は、とても保守的で堅い印象を与えます。ライトがするような軽やかでしなやかな表現には至っていないと思います。また、この環境でなければ存在し得ないという、計画の土着性に欠けると思います。
決められた工期、コストを忠実に守ったと言われていますので、遠藤新としては真に自由にやりたいことができたというわけではなかったでしょう。
あまり生意気なことをこれ以上申すのはやめます。
特注の装飾タイルをたったの一枚の切物なく納まっているのは驚異的です。よほど優秀な工事管理者が徹底してタイル割、逆算した躯体の施工図をおこしたのでしょう。日本人の仕事の細かさ、誠実さは今も昔も世界一です。ライトの建築にはない緻密さがこの建築にはあります。
それはどちらかというと細かなことを気にしない、アメリカ人のライトと、日本人遠藤新の国民性の違いなのかもしれません。
それにしてもこれほど見事な建築が、国の重要文化財に指定されていないということがどうしても理解できません。
現場が近くにある関係で南甲府の駅で待ち合わせをしました。身延線。まだ見ぬ世界へいざなうローカル線。駅舎はなんとも味わい深いアールデコらしきモノ。1925年様式とも呼ばれ、昭和初期に日本でも流行したデザイン形式です。ただ、とても表面処理的で薄っぺらな印象を与えます。同業者として肩を持つつもりもありませんが、予算やこちこちの担当者のせいで、建築家のイメージしたものとは幾分違ったものが出来てしまったのでしょう。そんな歴史的思い出(価値に達していない)はどうでもよく、単に建て替える予算もないから残っている、そんな少しかわいそうな南甲府駅舎なのでした。