先週、あいにくの雨模様ではありましたが、長野県の小布施の町を、CMrとして以前より家づくりの相談をお受けしているお客様と一緒に歩きました。小布施と言えば栗が有名ですね。秋には多くの観光客が訪れ、たいへん賑わうようです。写真は、小学校に隣接する町の図書館「まちとしょテラソ」です。
建物の設計は茅野市民館も手がけられたナスカの古谷さんで、校庭より70~80㌢下がっている落ち着いたフロアーや森を思わせるようなデザインなど建築的な見所もたくさんあるのですが、私の興味は建設までのプロセスでした。
サイトでも紹介されていますが、膨大な時間と手間をかけ、町民主体のプロジェクトとして、この建物が出来たことが感じられます。この「まちとしょテラソ」は「学びの場」「子育ての場」「交流の場」「情報発信の場」という4つの柱による「交流と創造を楽しむ、文化の拠点」という理念のもとに建築されています。
わたしたちが多く関わる住宅とは、規模や用途はまったく違います。ただ、住み慣れた町で集まって暮らす、家族の変化に対応できなくなった古い家を建て替える、都会から移住するなどの住宅建築においても、そのきっかけを丁寧に読み取り、家族や地域、自然との繋がり方を一緒に考えながら、信頼のおけるデザイナー(設計者)と共に形にしていくというプロセスがとても大事なのです。
CMr(コンストラクションマネージャー)の仕事とは、 住まい手からの依頼に基づいて、 家づくりの各プロセスを補助者としてマネジメントしていく仕事だと考えています。
主体はあくまで住まい手、一歩ひいてご家族の未来に想いを馳せながら、寄り添っていくことを意識しています。
去年の大震災があった日、私は北海道の寒冷地住宅視察旅行の帰り、首都高速走行中のバスの中でおきた。末期を覚悟したと同時に職業癖で、超高層ビルの層間変異の様子に見とれているうちに揺れはおさまり、そして私は生きていた。
そんなこともあり遠方への旅行にご無沙汰している。先日事務所の大掃除(いつも唐突に始まる)をしていたら、数年前に訪れたフィンランドの資料がボロッと出てきた。
私は日常のドローイングでもそして、旅の友としても赤青鉛筆が欠かせない。最近はこれが1ダース単位で売っていない。1本ずつ個包装になってまるで天然記念物あつかい。これ1本あれば黒鉛筆とあわせればオールカラー表現が可能なのに・・・。
訪れたアルバー・アールトの記念館のしおりの片隅に、その場でひらめいた照明器具のラフスケッチを発見した。北欧の光は独特だ。白くやわらかなマットな光だ。感覚が刺激を受けたのだろう。なかなか良いデザインだ。
私は閉所恐怖症です。中央自動車道の笹子トンネルはここ八ヶ岳から都心に出るには、どうしても通らなければなりません。これが私にとって試練なのです。あまりの苦痛に途中で目の前が真っ暗になってしまうのです。どうしてかって?それは目をつぶるからに決まってますでしょう。
だから大きな声で歌を歌ったり一生懸命助手席の方と話をして気をそらします。次の小仏トンネルではさほどでもありませんし、新しいトンネルではまずそんなことはありません。要するにこれが「圧迫感」というものです。
トンネルの巾、天井の高さ、照明にこの原因があるに違いありません。
さて、私は空間作りのプロです。快適な空間とは?についてもうかれこれ30年近くも、来る日も来る日も考え続けてきています。それなのに時として「中村さんの作る空間は天井が低い。」「圧迫感がある。」そんなことを言われることが良くあります。それって本当にそうなんですか?
天井が低いことや窓のすぐ上に庇があることを「圧迫感がある、貧しい空間。」そのようにどこかで誰かに既成概念として植え付けられているとしか思えません。かつてどこかのハウスメーカーが「大物が育つ家」などと称して、天井の高い家を売り物にしてTVコマーシャルしていましたね。(古いなー、それ何年前のこと?)
画像は世に名高いフランク・ロイド・ライトが設計した、ペンシルバニヤ州にある落水荘です。室内の天井高も突き出た庇も2メートルしかありません。ライトも住人も小人ではありません。180センチはありました。ソファに身を沈めて森を眺める。床、天井がバランスよく視界に入り、外部空間がぐっと室内に引き込まれてきます。素晴らしく心地よい空間です。天井高さ2メートルですよ!日本ではまず強い拒否にあうことになるでしょう。
閉所恐怖症のこの私の感覚を、もっと信じてもらいたいものです。