ライブが終わり深夜まで打ち上げに紛れ込んで、当然八ヶ岳には帰れません。田原町のカプセルホテルにお世話になりました。(もう2度とごめんです)そのホテルからは私が毎日6年間通った小学校の門が見えるんです。
早々にチェックアウトをすませて、小学校から当時の家までをたどってみました。ほとんどが変っていて当時のままの家はありません。それもそうですね。40年くらい経っているんですから。当時の家もなくなって区画自体が変わって、デザイナーズマンションなんかがひしめき合って建っていました。
それでも変わらないものはありました。「駒形どぜう」「厩(うまや)橋」もちろん「墨田川」。但し、廻りの風景は一変しましたね。どこもかしこもきれいになりました。スカイツリーがなんて絵になるんでしょう。
涙ぐみながらとうとうJR浅草橋駅まで歩いてしまいました。
・・・このガード下だけは、まったくどこも変わっていませんでした。
私のふるさとは浅草です。18歳までここで生まれ育ちました。その後転々とし八ヶ岳に住んで20年経ちました。そんなふるさとに25年振りに帰りました。
25歳の私は建築家としては早熟でした。RC造4階建ての先輩の工場併用住宅を設計監理しています。同じ軽音楽部出身の先輩です。そこで昼は工場を夜はライブハウス、ということを始めてもう10年くらいがたちます。
「今度行きます!」といってから10年もたってしまいました。
先日ふるさとへ、25歳の私に会いに行ってきました。当時「ポストモダン」などと言って、自由な建築表現がはやっていました。
今、この建築を前にして思うことは、「随分熱の入った造りだな。なかなかいいじゃないか。」客観的に見ることが出来ます。しっかりと、立派に建っていました。