久しぶりにアキ子さんの家を訪ねました。離れの増築を相談されたからです。7年を経て内部の木も良い感じの飴色になっています。
設計段階で私がこだわったこと、アキ子さんがこだわったこと、全てが良い結果になっています。
そんな程よい開放感のリビングダイニング。ダイニングの正面の壁一面が黒板になっています。聞いてみますと、壁を黒板にしてしまう塗装があるのだそうです。なんて大胆な発想。
細かく見てみますと、家族の情報交換の場となっているようです。この家族のすべてがここに集約されているかのよう。
私は建築を産むことは出来ますが、育てるのはオーナー自身。設計の意図は補強、補完されて、なんてたくましく育ってくれたのでしょう。
ヴォーリズ建築を的確に表す言葉が、上手く見つかりません。分析や解読に全く苦労のいらない、さりげない表情が居心地の良さを感じさせます。
そんな中、保存されている洋館群を囲う、煉瓦の塀にこだわりを見出しました。一つとしてまともな煉瓦を使用していないのです。変形してしまったもの、割れているもの、焼き損じて二つが一つになってしまったもの・・・・、100年を経ても、ヴォーリズの意思、メッセージがあるでしょう。
「人類はみな兄弟」と聞こえてきました。
軽井沢で進行中の「モーエンセンと語る家」オーナーの、東京の旧家取り壊しの際、廃棄を免れた保存建築部材の数々に中に、「結霜ガラス」と呼ばれるガラスがあります。これを、「モーエンセンと語る家」で、建具にはめ込む明かり取りとしてよみがえります。
その「結霜ガラス」がなんと、ヴォーリズの近江八幡の自邸玄関ドアに、はめ込まれているではありませんか。片や滋賀、片や東京。距離は離れていても建築年代が共通していたのでしょう。「結霜ガラス」は時を経て、ヴォーリズの育てた軽井沢で再び安住することになります。
グルグルと回る縁の渦の脇で、呆然となる自分がいます。
軽井沢建築文化の父ヴォーリズ。近江八幡のヴォーリズ記念館、洋館群など視察に行ってまいりました。
戦前の時点ですでに設計作品が1600件を超えたとのことです。それほどの仕事をこなす原動力はなんだったのか、どのようにしてなし得たかなど、今後の自身の建築家としての立場を、あらためて見直すことにもなる、有意義な旅となりました。
戦前の日本の田舎に、宣教師として一人近江に来て、多くの偏見もあるなか、キリスト教布教、社会貢献の一手段として、設計技術を振ったのでした。これが原動力でしょう。近江八幡市の名誉市民第一番目は、ヴォーリズです。
人類はみな兄弟という精神で、近江兄弟社を発足し、様々な教育事業や販売事業を発展させました。ここに多くの賛同者が存在します。建築作品の多産は時代が求めるままに、進めることができたのでしょう。
ただ、ここには当時欧米で興っていた、新しい建築思潮モダニズムとの関連性や、ジャポニスム(日本建築文化)との意図的、意識的なデザインチャレンジは観て取れません。極めて禁欲的です。キリスト教教理に照らして、必要最小限を追及していたのかもしれません。それが結果的に装飾を排除した、「さりげなさ」という表現を生んだのでしょう。